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カテゴリ:吉田璋也・年譜( 1 )
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2008年 10月 20日 |
吉田璋也(よしだしょうや:YOSHIDA Shoya:1898-1972)
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1898 明治31  鳥取市立川にて生まれる。父吉田久治(医師)母伴代。吉田一郎と命名。
1917 大正 6  新潟医学専門学校入学。
1919 大正 8  『攻瑶会雑誌』の編集委員となり式場隆三郎(旧姓垣沼)と親交をもつ。
1920 大正 9  白樺派の運動に共鳴し「新しき村新潟支部」を設立。
           雑誌『アダム』を発行。(表紙は岸田劉生など)
           初夏、千葉県我孫子に柳宗悦を式場隆三郎らと共に訪ねる。
1921 大正10  結婚
1923 大正12  改名「璋也」
1924 大正13  京都帝国大学医学部研修科耳鼻咽喉科医員となる。
           柳宗悦の紹介で河井寛次郎と会う。
1925 大正14  倉敷紡績(株)倉紡中央病院耳鼻科医員。
1927 昭和 2  京都帝国大学より医学博士号を受ける。
1929 昭和 4  奈良市福智院町の武家屋敷に住む。(現重要文化財今西家書院)
           柳宗悦・河井寛次郎・志賀直哉らと親交を持つ。
1930 昭和 5  暮れに鳥取に帰る。
1931 昭和 6  鳥取にて耳鼻咽喉科医院を開業。
           牛ノ戸窯を訪問し新作民藝運動の試作に取り組むよう説得。
           「鳥取民藝會」設立。陶芸・木工・金工・染織など多岐に渡り工芸品を試作。
1932 昭和 7  「鳥取民藝振興會」設立。鳥取市若桜街道に「たくみ工藝店」を開店。
1933 昭和 8  東京西銀座に「たくみ工藝店東京支店」を開店。
1938 昭和13  軍医として応召。中国北方に従軍。中国の工芸の研究を始める。
1940 昭和15  『有輪担架』(牧野書店)刊行。
           中国石家荘で現地応召解除。一時帰国の後再び中国に渡り工芸を指導。
1941 昭和16  厚民工芸を提唱し北京で新作民藝運動を拡大。
1943 昭和18  北京で「華北生活工藝店」開店。
1945 昭和20  敗戦で北京より京都に引き揚げる。
1947 昭和22  鳥取に帰る。
1949 昭和24  「鳥取民藝協団」組織。
           「鳥取民藝協会」設立。(再発足)
           「鳥取民藝館」開設。(翌年鳥取民藝美術館と改称)
1952 昭和27  鳥取大火にて医院・自邸焼失。再建する。
1954 昭和29  「鳥取文化財協会」設立。理事に就任。
           鳥取城跡(史跡)鳥取砂丘(天然記念物)指定申請。
1957 昭和32  耐火構造の「鳥取民藝美術館」改築。(昭和36年増築)
1958 昭和33  『民藝61号』「新作民芸品監督生産者」。
           自らの立場を「民芸のプロデューサー」とする。
1959 昭和34  「童子地蔵堂」を開く。
1961 昭和36  「童子地蔵堂」八角ブロック造に改築。
1962 昭和37  「財団法人鳥取民芸美術舘」設立。博物館登録。
           「たくみ割烹店」(生活的美術館)開店。
1964 昭和39  湖山池湖畔に「阿弥陀堂」を建てる。
1965 昭和40  仁風閣を国の重要文化財とすべく運動。
1966 昭和41  『民芸運動私見』刊行。
1969 昭和44  『民芸入門』(保育社)刊行。
1970 昭和45  妻、歿す。耳鼻咽喉科医院廃業。
1972 昭和47  9月13日歿す。(満74歳)
1974 昭和49  鳥取市名誉市民の称号を受く。
1981 昭和56  県政功労者表彰を受く。

(木谷清人編)